みのさんは次男の事件が発覚した9月以降、「みのもんたの朝ズバッ!」「みのもんたのサタデーずばッと」両番組への出演を自粛し、25日には降板が発表された。約200人の報道陣が詰めかけた会見で、みのさんは「辞めなければ収まらない風潮も感じた。みのもんたのせがれじゃなかったらというのが正直な気持ち」と悔しそうに語った。(ニュース記事より引用) 以前にも書いたことだが、なぜみのもんたがこの次男の問題で番組をやめないといけないのかが理解できない。 でも本来ならテレビ人として、報道番組もやり、その中での批判を受けて適切に対応するべきではなかったのか。 ひとつ不満を言えば、彼も含めて日本のテレビ番組はNHK以外はスタジオで人が作った映像や新聞を見て、批判をするだけの状態にあり、番組ごとの出演者のための番組ばかりになっている。公共の電波をスタジオでただ出番があるだけで喜んでいるだけの人ばかりというのが気になってしょうがない。 本来なら海外の番組のように、やはり報道は1-2人で1時間番組を担当し、専門的な知識で現場にいる取材をしている人との会話で今のニュースを報じるべきで、日本の1週間同じような内容を繰り返すのは無駄もいいところ。 みのもんたの朝の番組も見ていたが、申し訳ないけど、彼がいなくても番組はきっちりとやっている。ただ人数がやたらと多いし、みのもんたの個人的なやりかたには不満もあったことは事実でもある。 ただ何度も書くが、この事件で番組を降板する、あるいは自粛するのは変だったという、それだけでこそこそと裏にいることが問題だったのではないかと。他の人にはいろいろ番組で言うくせに、自分の身内になると表から消えてしまったのはそれは問題かと思う。 さらにこのネット社会なのだから、しゃべりが転職で、本当に日本を報道という立場で変えたいというなら、自前でネット番組でも作ればいいのである。基本は自分の足でネタを探し、それをもとに日本を変えていくということができれば、いやできるはずだから、別にテレビに出なくても本当にプロならできるはず。 なぜ大のおとなの家族の不祥事の責任を取る必要があるのか。それなら多くの国会議員も彼に見習って政治家をやめたらどうか。 でも日本の芸能界は時間がたてば復帰するという傾向もあるので、今は番組がなくなっても数ヶ月後には戻ってくるのではないか。 私が関心している番組はNHKのクローズアップ現代、さらにテレビ朝日の朝の8時からの番組だ。司会者も取材し、英語も駆使して、出演者も取材してくるというのは評価している、ただいやな仕事はしない傾向は民放にはあるようで、やはりスタジオにいる人は多すぎる。 番組も番組ごとに同じ内容をやめればいいのである。 彼らはたぶん、テレビ番組から降板すると自力では何もできないのではないか。 これを機会に本当に実力のある司会者1-2名で1-2時間の番組をやったらどうか。ニュース番組も疑問をもってそれをほったらかしにするとか、こうすればいいといいながらそれをやらないような番組はいらない。馴れ合いのような番組もいらない。 みのもんたのせがれじゃなかったらというのが正直な気持ち この意味がわからない。そういう批判でも現実あったのだろうか。みのもんたが次男の事件に加担していない以上、関係ないのではないか。それともこれもいじめのような何かあったのだろうか。そこが私には見えない。そもそもTBSの番組はこのニュースをきっちりと報じなかったことも問題なんだけどね。 再度かくけど、番組は嫌いだったけど、この記事に関して、なぜみのもんたが番組をやめないといけないのか私には理解できない。 彼をやめさせたり番組を降板させることがこの事件から学ぶことなのか。そういう意味ではこの次男のやったニュースの詳細とその防止方法、どうすれば彼は事件を起こさなかったのかという視点の記事になるのが本来ではないのか。 往々にして、日本のニュースは入り口だけで、あとは言いたい放題で終わってしまう。経過や結果、改善などがまったくない。もっと先日の確認をしろという記事と同じで、もっとニュースから学ぶべきことを見つけるべきではないのか。それとも個人攻撃が彼らの目的なのか。 次男逮捕当初に「親の責任はない」と主張し、反発を招いたことに対し、「思い上がってた」と認めた。 こういう記事も見つけたが、なぜ反発をくらうのだろうか。こういう風潮だと子供や家族、親戚の問題はすべてその集合体に責任があるのか。少なくとも子供といっても成人式を迎えたら大人だろ。それともキャリアをぼうにふるほどの影響があるのか。親の責任としてよく子育てを間違えたとか言えばよかったのか。これはその本人の価値観の問題であって、その本人が親の責任はないと思うなら、そういう考えの人と思えばいいのではないか。それともすべての人が同じ考え、普通の考えでないとダメなのか。 たぶん本人が一番つらいし、次男には親として色々考えることもあったと思うよ、責任はないといってもそれはその家族の親子のことなのだから。表向きは親には責任はないといっていても、たぶんみのもんたはその文字通りのことを考えていなかったと思う。 やはり大人になれば突き放す、すだちをさせる、独立させるというところがいまひとつないのかな。 そして一番まずいのは、よくこういう批判をうけるとそれに従う動きをする人が多いのだが、それもそれこそそれ以上の批判を受けたくないからということもあるし、本当に心をかえたという意味合いもある。政治家で失言の多い人は、その場をつくろう言い訳をする人が多く、心変わりをしたわけではない。そういう人は許されて彼はダメなのか。 やはり変である。  
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なぜ次男の問題に番組降板なのか?番組は嫌いだけど、このニュースに関して彼は責任をとる必要はないと思う

October 27, 2013 ニュースに関するコメント 1 Comment

みのさんは次男の事件が発覚した9月以降、「みのもんたの朝ズバッ!」「みのもんたのサタデーずばッと」両番組への出演を自粛し、25日には降板が発表された。約200人の報道陣が詰めかけた会見で、みのさんは「辞めなければ収まらない風潮も感じた。みのもんたのせがれじゃなかったらというのが正直な気持ち」と悔しそうに語った。(ニュース記事より引用)

以前にも書いたことだが、なぜみのもんたがこの次男の問題で番組をやめないといけないのかが理解できない。

でも本来ならテレビ人として、報道番組もやり、その中での批判を受けて適切に対応するべきではなかったのか。

ひとつ不満を言えば、彼も含めて日本のテレビ番組はNHK以外はスタジオで人が作った映像や新聞を見て、批判をするだけの状態にあり、番組ごとの出演者のための番組ばかりになっている。公共の電波をスタジオでただ出番があるだけで喜んでいるだけの人ばかりというのが気になってしょうがない。

本来なら海外の番組のように、やはり報道は1-2人で1時間番組を担当し、専門的な知識で現場にいる取材をしている人との会話で今のニュースを報じるべきで、日本の1週間同じような内容を繰り返すのは無駄もいいところ。

みのもんたの朝の番組も見ていたが、申し訳ないけど、彼がいなくても番組はきっちりとやっている。ただ人数がやたらと多いし、みのもんたの個人的なやりかたには不満もあったことは事実でもある。

ただ何度も書くが、この事件で番組を降板する、あるいは自粛するのは変だったという、それだけでこそこそと裏にいることが問題だったのではないかと。他の人にはいろいろ番組で言うくせに、自分の身内になると表から消えてしまったのはそれは問題かと思う。

さらにこのネット社会なのだから、しゃべりが転職で、本当に日本を報道という立場で変えたいというなら、自前でネット番組でも作ればいいのである。基本は自分の足でネタを探し、それをもとに日本を変えていくということができれば、いやできるはずだから、別にテレビに出なくても本当にプロならできるはず。

なぜ大のおとなの家族の不祥事の責任を取る必要があるのか。それなら多くの国会議員も彼に見習って政治家をやめたらどうか。

でも日本の芸能界は時間がたてば復帰するという傾向もあるので、今は番組がなくなっても数ヶ月後には戻ってくるのではないか。

私が関心している番組はNHKのクローズアップ現代、さらにテレビ朝日の朝の8時からの番組だ。司会者も取材し、英語も駆使して、出演者も取材してくるというのは評価している、ただいやな仕事はしない傾向は民放にはあるようで、やはりスタジオにいる人は多すぎる。

番組も番組ごとに同じ内容をやめればいいのである。

彼らはたぶん、テレビ番組から降板すると自力では何もできないのではないか。

これを機会に本当に実力のある司会者1-2名で1-2時間の番組をやったらどうか。ニュース番組も疑問をもってそれをほったらかしにするとか、こうすればいいといいながらそれをやらないような番組はいらない。馴れ合いのような番組もいらない。

みのもんたのせがれじゃなかったらというのが正直な気持ち

この意味がわからない。そういう批判でも現実あったのだろうか。みのもんたが次男の事件に加担していない以上、関係ないのではないか。それともこれもいじめのような何かあったのだろうか。そこが私には見えない。そもそもTBSの番組はこのニュースをきっちりと報じなかったことも問題なんだけどね。

再度かくけど、番組は嫌いだったけど、この記事に関して、なぜみのもんたが番組をやめないといけないのか私には理解できない。

彼をやめさせたり番組を降板させることがこの事件から学ぶことなのか。そういう意味ではこの次男のやったニュースの詳細とその防止方法、どうすれば彼は事件を起こさなかったのかという視点の記事になるのが本来ではないのか。

往々にして、日本のニュースは入り口だけで、あとは言いたい放題で終わってしまう。経過や結果、改善などがまったくない。もっと先日の確認をしろという記事と同じで、もっとニュースから学ぶべきことを見つけるべきではないのか。それとも個人攻撃が彼らの目的なのか。

次男逮捕当初に「親の責任はない」と主張し、反発を招いたことに対し、「思い上がってた」と認めた。

こういう記事も見つけたが、なぜ反発をくらうのだろうか。こういう風潮だと子供や家族、親戚の問題はすべてその集合体に責任があるのか。少なくとも子供といっても成人式を迎えたら大人だろ。それともキャリアをぼうにふるほどの影響があるのか。親の責任としてよく子育てを間違えたとか言えばよかったのか。これはその本人の価値観の問題であって、その本人が親の責任はないと思うなら、そういう考えの人と思えばいいのではないか。それともすべての人が同じ考え、普通の考えでないとダメなのか。

たぶん本人が一番つらいし、次男には親として色々考えることもあったと思うよ、責任はないといってもそれはその家族の親子のことなのだから。表向きは親には責任はないといっていても、たぶんみのもんたはその文字通りのことを考えていなかったと思う。

やはり大人になれば突き放す、すだちをさせる、独立させるというところがいまひとつないのかな。

そして一番まずいのは、よくこういう批判をうけるとそれに従う動きをする人が多いのだが、それもそれこそそれ以上の批判を受けたくないからということもあるし、本当に心をかえたという意味合いもある。政治家で失言の多い人は、その場をつくろう言い訳をする人が多く、心変わりをしたわけではない。そういう人は許されて彼はダメなのか。

やはり変である。

 

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  1. tetsujikenny says:

    「自分の職を放棄することが親の責任の果たし方なのかと今でも疑問です。芸能界で活躍する親を持つ子どもが不祥事を起こした時、僕は報道はしましたが、親に『役者をやめろ、女優をやめろ』と言ったことはありません。独立した子どもはやはり別人格だと思っています。お前は影響力のある立場だからと言われますが、じゃ影響力のある職業、政治家とか官僚とか法律をつくる立場の方は、自分の職業を棒に振らないといけないのか。それが責任の取り方なのか。みなさんに親の責任について議論してもらい、それを参考にして自分の答えを探したい」(ニュース記事より引用)

    今日の記事だが、みのもんたのインタビューからの引用。私もこの彼の意見には賛成である。親の責任の議論をするべきだし、指摘の通り、影響力のある職業、政治家、官僚などもその対象になるはずである。

    何かニュースの本質を見ない、調べない、聞かない、疑問ももたない傾向があって、さらに誰かをちまつりにあげるのが仕事になっている人や番組が多いのではないか。それでいて何も解決してしないではないか。

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